始まりは、大正10年(1921年)の運送店と自転車販売店の創業
カーポート佐々木グループは、初代の祖父・佐々木政太郎が大正10年(1921年)に新市運送店と自転車販売店を創業したことから始まりました。当時の貨物業は主として材木の運送で、神石郡(現:神石高原町)より馬車で新市駅まで運び出された材木を貨物列車に積み込んで広島・大阪方面に送る業務をしていました。
一方、自転車はすべて木製車輪の輸入自転車を販売していました。昭和元年(1925年)に、二代目・佐々木俊三(私・萬二の父)が自転車店のみを引き継いで「佐々木輪店」として正式にスタートしました。
創業期は、すべての仕事が人からの紹介で、紹介者の顔をつぶさないように、と何事も一生懸命していたことが、次の仕事につながったと聞いております。ここに私たちの「人とのつき合い」の原点があるのです。
戦後、貧困、そして度重なる洪水などの逆境を乗り越えて
昭和20年(1945年)、終戦直後の動乱、貧苦は、私たちの事業にも少なからず影響を与えました。売るモノがない。売ろうとしても、お客様も貧困に喘いでいる。そんな状況に追い討ちをかけたのが芦田川の氾濫です。特に忘れられないのが、昭和20年9月の大水害です。私も腹まで水につかりながら、家族とともに何とか生き延びました。この水害では多くの犠牲者が出ました。私は、商売どころではなく、ともかく、お世話なっている地元の人たちのために家族総出で、トロッコで土を運んだりして堤防修復等の復興に努めました。
この先どうなるのだろうと不安に苛まれていたこの時期、助けていただいたのが、一緒に復旧作業をしていた地元の人たちからのご紹介でした。助かった、また新しい仕事が始まったと素直に喜んだものです。ここでも「地元の人たちとのおつき合い」が私を救ってくれたのです。
日本のモータリゼーションの到来とともに事業を拡大
昭和36年(1961年)、株式会社佐々木輪店を設立。
やがて、日本のモータリゼーションの到来を早くから予見し、販売設備の拡大、整備工場の建築、中古車展示場の開設など矢継ぎ早に設備を拡大。それが功を奏し、事業はますます拡大していきました。
しかし、私はそれに慢心せず、いやむしろだからこそ、原点である「人と人とのおつき合い」を忘れることなく、「感謝の精神」「お役立ちの精神」を持って仕事を行うことを、自分にそして社員に徹底して説き続けたのです。
飛躍的な成長そして、新たな挑戦へ
その後、スズキフロンテ福山販売(株)の開設、スズキ軽四輪販売部門日本一の樹立(連続受賞)。また、両備三菱自動車販売(株)設立での新車ディーラー権の取得、車検のコバック、中古カー用品アップガレージ、輸入車事業(ルノー福山)、軽未使用車専門店キュートのオープンにより、カーポート佐々木グループ全体によるカーライフプランナー機能をさらに高めてまいりました。
更なる100年を目指して
振り返ってみれば、私どもの事業は常に「人」と「地域」との密接なつながりとともにありました。お客様に満足していただくため、ご要望にお応えするため、それを第一に考えてきた結果と言えます。
カーライフプランナーとは、常にお客様の視点に立ち、現在に、そして未来に必要なモノやコトをいち早く、そして過不足なくお届けすることだと思います。これからも、創業100年を目指して、顧客満足度の向上とともに、事業基盤の強化を図り、より一層の飛躍をしてまいる所存です。